強欲からアウラまで

最近ビジュアル系バンドが仲良くてワチャワチャしてる動画をユウチューブで見ていて、なんやろものすごく癒しになるなと思った。別に斬新さとか面白さとかなくてもなんかかわいい子たちがアホやなあってことしているっていうのが、微笑ましい。大前提に「なんかかわいい」が重要なのは語るに落ちてるんですけど。見目だけの問題でなく人間としてなんかかわいいと思えるかどうか。人間性がなんかかわいい人って見目もやっぱりかわいいですよね。愛嬌というか。美醜の話ではない。
だいぶ前ににけつでケンコバが「AVも最近はなんか、セーラー服着た女の子が蒲団の上でころころ転がってるシーン見てるだけですごく幸せな気持ちになる」みたいなこと言ってたけどそれ。たぶんその境地だと思う。推しでいうと、何してても尊いからただ動いてるのを見てるだけで幸せになれる、そういうやつ。
でもバンドにもよると思うけどバンド側ってファンのそういう「かわいいとこ見たい」とか「仲良しなとこ見たい」とかいう心理って複雑なのかもしれない。純粋に音楽じゃないんかい!みたいな、なんていうか、アイドル性を求められてもみたいな。かわいいって言うなかっこいいって言えみたいな。男の子ですしね。ジャニーズとはちげんだよ!っていう思考があるともう相当嫌やろな。尖り散らかしてるな。でも年取ると共にそういうのも柔らかくなっていく傾向はある気がする。それもまあひとつの見方かなとか、人柄を良しと思ってくれてるのも嬉しいって思ってくれるかどうかみたいなとこあるけど。
個人的に私のファン心理としては、もちろん純粋に音楽が好きでステージ上の彼らは兎に角かっこいい魅力的最高と思っていて、更にそこに実は喋ると面白いとかかわいいとか仲良くてワチャワチャしてるなどのステージでのオラオラさとのギャップが垣間見えるともう最そして高〜〜っていう気持ちになるなってだけなんですけどな。あとメンバーの仲が良いって解散しないって信じられる要素というか。安心できる要素だったりもするわけで。
だからドキュメンタリーとかはもっと楽屋でくだらない会話してキャタキャタしてるメンバーも見たいのにカメラ意識でちょっとカッコつけちゃうとかあんまりふざけてるシーンはカットしちゃうとかやだ〜〜〜〜〜〜!っていう。今回のライブを作るにあたってこういう人たちがいてこういうことをしてくれているんだよって部分に詳しい感じ、すごく良かった。食い入るように見た。機材の紹介とかももっともっとしてもらっても嬉しいなと思う。こだわりとかはそれはもういっぱい知りたい。テクニカルな部分を見られるのはすごく有難いと思う。DIMのときあったけど、ああいうレコーディングしてるとことかも見たい。
しかし…しかしな…なんやろうこの欲深な気持ち…強欲…七つの大罪だよ…(最近それ系の作品に触れる機会が多くて敏感に思い出しちゃう)
強欲の限りを叫ぶとすると、

NLSG日武DVD初回盤ドキュメントとか東京ドームFC限定ドキュメントとかああいうなんかこう、そう、ああいうのをFCサイトの動画コンテンツとかそういうのでもっとくれたらいいのに〜〜〜〜〜〜〜!!!

あ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!大罪!大罪!大罪!大罪!推しが生きてるだけで幸せなのに!!!存在してるだけで世界が輝くのに!!!推しの溜息は太陽を凍らせるのに!!!!全然曲も知らんバンドのワチャワチャしてるユウチューブ見てフフッかわいいなって思ってしまってから欲深くなっている〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!
でもユウチューブで公開はしなくていいとおもう(複雑な女)
やるならディスク化かヘレシー限定でいいとおもう(めんどくさい女)
そしたらラジオの存在意義なくなるんかな……声だけっていうのも想像が掻き立てられて私はけっこう好きやからラジオずっと続けていってほしい……

七つの大罪について調べてみた。詳しく調べたことなかった。<七つの大罪とは「罪」そのものというよりは、人間を罪に導く可能性があると見做されてきた欲望や感情のことを指すもの>で、順番が入れ替わったり内容が変わったりしてることを知った。変わるんや内容…根底は変わらない気するけど考え方の違いかな…。怠惰が悲嘆にまとめて省かれたかと思えば悲嘆に代わって怠惰が復活したり、そのとき解釈する人によって変わってきたの面白いですね。
私の知ってるやつで、一番扱われることの多いのが
傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、怠惰、暴食、色欲(順番は適当)
の七つだと思うんですけど、
<七つの大罪は、それぞれ次の美徳に対応しているという。暴食⇔節制、色欲⇔純潔、強欲⇔慈善・寛容、憤怒⇔忍耐、怠惰⇔勤勉、嫉妬⇔感謝・人徳、傲慢⇔謙虚。>
これでそれぞれの意味が理解できた。暴食ってそれもある意味強欲じゃね?って思ってたし強欲って広すぎない?って思ってたけど、要するに強欲は自分だけが良ければいいとかいうことが根底にあるのだな。古くは「金銭欲」のこと指してたみたいやし。
ウィキペディアに「最近の七つの大罪」とかいうのが載ってて、最近のとかあるんやって見たら2008年にローマ教皇が発表した「遺伝子改造・人体実験・環境汚染・社会的不公正・貧困・過度な裕福さ・麻薬中毒」だそうで。より具体的になっていた。
なぜそう…具体的になる…通俗的だ…何事も具体的に提示しなければならないのは何指してるかいまいち分からんのはよくないヨネっていう現代っぽ思考回路やなあと思ってしまう。宗教の教皇に「遺伝子改造」とか言われると途端に俗っぽさが出てしまうというか。
アウラの消失ですわ……いやちがうか

アウラの消失というと、我々いわゆるバンギャルはとてもアウラを大切にする生き物ですよね。「時間と空間の縺れ合う一回限りの現象」である生のライブの素晴らしさを知っているし。これを切り取り複製したDVDとかはアウラの消失で、DVDを見ることで思い返し追体験はある程度できるけれど、やっぱりその日その時の感動を同じだけ思い出し同じだけ体感することは不可能。それでは満足できないから何度でも足を運ぶし、同じライブは一度だってないから何度でも新たなアウラを感じる。
ではこれがリモート、無観客ライブではどうか。どうしても「時間」と「空間」が縺れ合わないわけで、「どんなに近くにあっても遠い一回限りの現象」というアウラの本質を失ってしまう。画面になる=時空がちげぇんだもうそれは。
全然行けなくて迎えるファイナルと、ずっとツアーを回ってきて迎えるファイナルって全然違うなというのもそう。ツアーを回ることによって「ライブに何回も足を運んだ」歴史が生まれることになる。前者は歴史が欠如していて、後者には歴史が存在している上でのファイナル、どちらがよりアウラを感じられるかというとやっぱり後者なわけです。
そういうのが大事ってことなんですね。考えるのめんどくさくなってきた
しかし冒頭からつらつら述べた「バンドにいわゆる通俗的な面を見せてほしい」と対象を自分に近づけたがるファン心理はアウラの消失に繋がっているのでは…。でっでも神秘性という点が確実に失われるけど親近感からくる愛情は育ちます(もはや詭弁)
あ〜人間ってたいへん〜

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