卯月の頃

Coccoの卯月の頃という曲が大好きなんですが、こんなに胸に刺さる曲になるとは、中学生のめそちゃんは思ってもいませんでした。大人になったな、めそちゃんも
3月がめちゃくちゃ忙しくて慌ただしく4月を迎える頃にはドーーーンと気が滅入ってしまい、なーんにもやる気がしないな〜とか思いながらも仕事に行く日々を淡々と過ごし。やっと半分です。4月なんでこんな長いの?驚きの長さ
毎日毎日出勤途中に電車の窓から見える桜を眺めてあ〜もうあれから3年も経つのか、あ〜もうあれから1年経とうとしてるのか、そんなことをボケーーーッと考えて、それ以上の言葉がなく、他に感情もわかず、4月は私にとって辛いことが重なりすぎてなんだか本当に日々を過ごすだけで精一杯というか。深く考えたら落ちそうでなんとかしてフラットに保つために感情に蓋をして、ただ何気ない日々を過ごすことに徹している感じ。人と会ってたり話してると全然ふつう。笑って過ごせるし笑いをとりにいくし元気だし、楽しいしめっちゃ笑ってるし。ただ一人になるとボケーーーーーーってしてるっていう。
わたしにとって桜は父が毎年花見に行くのを楽しみにしていたなとか、病室で今年の桜はまだかと心待ちにしていたな、結局見せてあげられなかったなって満開になった桜のなか思いながら葬儀場まで歩いたなとか、火葬場の桜が本当に綺麗でこんなに咲き誇っとるのを煙になってる父は見れてるんかな?って思ったこととか、そういうことを思い出します。だからあまりれいちゃんと結びついてはいなくて、ただ桜が咲くと父の命日がきて、それかられいちゃんのことがあったなって思いを馳せるかんじです。
とはいえ、だから何ということもない。仕事に行けなくなるほど心が壊れることもない、変だね〜。薄情な女なのかなわたしというやつは、みたいなことを考えたときもありましたが、そういうことじゃないんですねきっと。多分わたしは心が壊れる前に蓋をすることができて、そうすると身体の不調に気づくのが遅れて、心が壊れる前に先に身体がまいって熱が出る。それで身体が崩れると今度はしんどすぎてちょっといまはごめんけど心のことはとりあえず置いとくわそれどころじゃないわってなる気がする。高熱出て寝込んでるとき考えてることってだいたい「熱い寒い汗気持ち悪いしんどいくそ〜しにたくね〜〜〜!!まだライブがあるしねこは生きとるわたしが死んだらこの部屋に色んな人間が入ってくるそれはとても困る〜〜〜〜!!!!!!」です。ディルドとかあるんですよエロ漫画描いてる女の部屋には。PC画面横に飾られてある。困るわけです、上司とかきたら。兄妹がかわいそうすぎる。めそさん部屋にこういうの置く人だったんですね…アハハ…みたいな空気流れていやアハハ全くねアイツまじアハアハ…て言うしかないのとか想像したらさすがに勘弁してあげたいそんな未来。
なんの話でしたか…?(おそろしい)
まあそんなことで高熱はだいたい一日二日寝てたら治るんで、ウイルスっていうか知恵熱みたいなものな気がするし、これもたぶん生存戦略なのかも知れない。

れいちゃんの追悼の絵は一生描けないと思っているし文章にすることもしないって決めてるんだけど、るきちゃんもそういうことを悩んだのかな〜ということをふとこのあいだのツイートで思ったりしました。でもメンバーにしかできないことだと思うので、「真実は歌詞にして美しく昇華させていくべき」という言葉をもらえて、個人的には安堵したというか。なんていえばいいのかわからないけど、してくれなきゃ困るというか。他に誰ができるんだよというか。
それがあってはじめて私も自分なりに昇華できる気がするというか。絵とかにはしないんだけど。なんか…しないんだけど、きっと今はまだ考えられないことも考えることができるんじゃないかなというか。
るきちゃんは前から思っていたけど、天邪鬼なところもあるけど素直だし捻くれてないんだよなと本当に思う。
るきちゃんだけじゃなくてみんなそうかな、ガゼットから滲んでくる陽キャ感ていうか明るさというか輝きみたいなものの源泉、捻くれてなくて素直な人たちなんだろうなってものすごく感じる、わたしみたいな捻くれた人間には無性に眩しくて羨ましくて、だからこそ目が離せなくて、好きでいると自分が浄化されたような気持ちになる。

今日を迎えて思うことは、思い出すって言いたくないよーーー思い出になっちゃうのも嫌だし忘れることなんてないんだから思い出すこともないんだよ〜〜〜〜〜なんか浜崎あゆみでこんな歌詞なかったか〜〜?!?!?!みたいなことでした。
私のような捻くれた人間は、天国も地獄もなければ生も死もただの理で心の中に生きてるとか天国から見てるとか気休めみたいな言葉とか考え方も、死を美化するのも思い出を美化するのもその人となりを美化するのも結局のところやっぱり拭えない抵抗感があり、宗教も信じてないし、「空から見ててくれる」みたいな言葉でさえ「生きている人のために勝手に気持ちを代弁していいように扱い続けるようなことはしたくない」みたいなことを考えてしまったりなどして、本当に捻くれているなと自分でも思います。生きていかなきゃならないのに、そのための受け入れ方のひとつなのに。それは分かってるのに。
だから自分は言わないし誰かが言ってるのを見ると捻くれて捉えちゃうから苦手なんだけど、でも近くにいて長い時間共に過ごしたメンバーが言ってくれたら、すごく素直に「じゃあ見ててくれてるのかも」って思える。葵さんの言葉も写真も、るきちゃんの言葉も、うるはさんの何気ないツイートも、かいくんの言葉も、この一年のあいだに次の約束をし続けてくれたライブというかたちの会える場所も、そんなわたしにはほんとうにありがたかった。
なんかもう、この一年そうだったけど、ずっとメンバーの言葉しか脳に心にいれたくない、わたしとガゼットとのあいだになにものも要らないという気持ちが大きくなってしまった。誰の気持ちも背負えないし、誰にも気持ちを背負ってほしくないし、ファンなら〜とかファンたちはみんな〜みたいなツイ見かけるとわたしを入れないで〜って思うし、海外から来たファン密着のテレビも死んだら話題にするクソメディアとしか思えなくて見てない(ひどい言い様)。
どう考えても害悪なので表のアカウントでこんな話しないけど、そういう捻くれた人間なんだったわたしというやつは。どうしてきれいに悲しめないんだろうとか、どうしてきれいに悼むこともできないんだろうとか、自分のキショさで泣きそうになることもあった一年でした。でしたじゃないですね、現在進行形。
そういう捻くれた人間でも、ガゼットと一緒に生きていきたいな、そばにいたいな、できることなら支えになれたらいいな、などと思っており、邪魔にならないように陰からそっと見てるので許してくださいという気持ちです。


なんで懺悔してるんだ……?
いつも申し訳ないと思ってるけども……ディルドのくだり要る……?恥ずかしいことバラしただけで害悪なことつらつらつらつら言って最後に許してくださいって、誰にも許されないだろこんなやつは……

まあいいや!!!!
とにかく今日をいつもどおりに過ごせました、いつもどおりに過ごすことを精一杯やりました。いまはなんかそんな感じで日々を粛々と積み重ねて生きて、次の約束にはまた元気に5人に会いたいと願います。寂しいな、と思いながら。
なんか野菜とか食べてるし、そこそこ皿を洗ってます(皿は心の元気のバロメーター)。去年さすがにシンクが腐るほど皿などを放置しており、あ〜元気ないと皿って洗えないんだな…って眺めてたので、今はまだ皿を洗えているだけ大丈夫な気がしています。これはぜひ知っておいてほしいのですが、ほんとうに元気がない時、シンクはね、腐ります。すごい。しかもヤバいという感情もない。すごーい腐ってる〜とか思って見てるだけ。人としてまずい(ずっとまずいけど)

待受にしてるうるはとるきのモエシャンツーショット、まだ咀嚼できてません。このひとたちは何?職業なに?かわいい?かわいいものクラブ?体格差が好きすぎてウッダダウダウダ

寝たほうがいい
ねこキレてるし

おやすみなさい
明日もいつもどおり過ごせますように。

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