愛しているか否か
私のこういうところ鬱陶しいよなと自分でも思うんですけど自分の中に疑問が生じたりすごく興味をひかれたことについてはうだうだ考えずにはいられないので…。自己満足なので興味がある人だけどうぞ。そもそもここさほど見てる人いないか…。色んな人の意見を聞いてみたいことでもあるのでもし気が向いたらいただけるとうれしいです。
・「面白おかしい」ものは「バカにしている」「愛じゃない」のか
さて。オマージュとして某バンドが某愚鈍の某を某したことが発端ですが。※そのバンドについては話しません(きょうみGAない)。
私がぐうう…となった点は、公式の名前・公演名・画像を面白おかしく表現したことについて「バカにしている、愚弄している」「どう見ても愛じゃない」というリプを見つけ、他人事でないものを感じてしまったことです。それは自分が普段やっていることと表面的には同じだからです。漫画を描いたり小説を書いたりしていて、見る人が見れば「絶対に馬鹿にしてる」と捉えられてもおかしくない、と普段から思っていたからです。三次元腐が徹底的に隠れるのって本人が見られないようにという理由と、腐でもなんでもないファンが見て不快にならないように、という理由もあるわけだし、三次元腐で活動をしている人(していた人)は同じような考えに至るのでないかなと思います。
勿論、それを売りにして金銭を得る「商い」に使用しているとか、「警告されたのに懲りずにやった」点はここではカットです。見た限り、「バカにしてる!」「これは愛じゃない!」と衝動的にコメントしたであろうファンのその初期衝動はそれらじゃないと思うので。じゃあその初期衝動ってなに?というと、「自分の好きなもの・愛しているものを面白おかしく表現されて馬鹿にされた気がした、腹が立った」だと思います。
「面白おかしく表現している」側の自分だから思うのですが、第三者がそこに愛を感じることは無理だと思うのです。私が何しても、フォロワーの皆さんは優しいから、私がファンであることを知っているから、あとそこそこ付き合いが長い(新しいフォロワーさんは年単位でいないので…笑)から、やべえなこいつって笑って流せるだけで。私をフォローしていない、知らない、腐女子でもなんでもない人が例えば「壊れかけのORERA」などと題して制作期間中の彼らを面白おかしく描いた漫画を読んだのなら、「本人たちは真剣に制作に取り組んでるのに、バカにしてる!」って思う人は絶対少なくないです。そりゃ、私が「彼らがこんなバカなことしてたら可愛いな、面白いな」って思って描いてるんだから当然ですよね。
バカにしているとは思わないまでも不快感を得てしまったなら、私が愛を持って描いているなんて、誰がそこまで考えるでしょうか。きっとこれは愛ゆえなんだ!とか、誰がそこまで考えてくれるでしょうか。よっぽど私のことを理解したいと思ってくれない限り、有り得ない思考回路です。愛があるからこれを描きました!って言って見せたところで、「これ、愛なの?」って思うほうが自然だと思います。初対面の印象が大事とよくいわれますがそれと同じで、「バカにしてんの?」って思った瞬間から「この人を理解したい」なんて真っ先に消える思考です。中には「いや待て一概にそう断ずるのは早計だ」って一呼吸置くプロセスを自然とできる人もいらっしゃるので絶対にそうとは言えませんが。
これは二次創作に限ったことでなく、たとえばメンバーの容姿や性格を貶す愛情表現もハタから見たら理解不能でしょうね。
「面白おかしく表現する」ことはバカにしているのか、愛じゃないのか。
これについてバカにしている、愛じゃない、と思ってしまうのは当然だと思いました。ですが「面白おかしく表現している」側の自分としては、バカにしているとは言えない、愛じゃないとは言えない。自分はバカにしていないし、愛しているからです。
・「愛じゃない」の根拠について
では、「こんなの愛じゃない」の根拠はなんなのでしょうか。
「私の思う愛し方」ではない愛し方をしている人の愛は愛ではない。というように、「自分が思う愛し方」と「他人の愛し方」を比較し、それが根拠の発言なのではないかと感じました。
何かを愛している誰かに他者が「それは愛じゃない」と断ずるのは非常に難しい問題だなと常々思っているのもあり。今回の件は「愛しているものが同じ」場合ということもあり。うだうだ考えるに至ったわけですが。
自分とは全く関係ないものを愛していると言われたら、大体の人はそうなんだ〜そういう愛もあるんだね〜みたいにちょっと特殊でもいちいち「それは愛じゃない」なんて言わないしその正否を考えないのに、こと自分も愛しているものだった場合そこに自分の思う愛との比較を意識的・無意識的にやってしまうという心理について、もう少し深く考えたいなと思った次第です。悪いとかヤバイとか言いたいのではないです
これはまた難しい問題なんですけど……。多様性多様性と昨今様々なことで声高に叫ばれていて、「こういう人もいるんだって受け入れて欲しい」みたいなの多くて、そのたびに考えてみます。考えてみますが、それが不快感を得てしまうようなものだったとき、私は非常に悩ましくなります。不快なことを不快と思わないようにすることは難しい。けっこう無理。だってそのたびに「この人はどうしてこうなんだろう?」って多角的に見ないといけない、どんだけ不快な相手でも理解する姿勢にならなきゃいけない。めっちゃ大事なことで、それができれば相手よりも何よりも自分にとっていいことだと思います。でもね釈迦でも菩薩でもないからそんなこと毎回毎回やってられないっていうのが本音だったりもします。
だから、思う事は自由、心の中は自由と割り切って、けれど相手に向けて発言するとなると、何故自分はそう思うのか、思い込みではないか等、心の中で一旦深く考えなければいけないなと思います。それをせず衝動的に口に出して相手の感情を否定することは個人的には見ててヤバイなと思ったし自分もそうしないように気を付けたい…。そんな人はごく一部だったんですけど!
今回の件には正義感というバイアスがあるのである程度仕方が無いよなと思いつつも、自分が愛しているものを脅かすかも知れない者は攻撃・弾圧・排除するという思考については見つめ直さなければならないよな〜と思います。周囲から攻撃されるというか弾圧されるというか、まああんまり受け入れられない趣味であるという背景から内向的で他者に対して攻撃的になりがちになってしまうのはよくない。これはマイノリティ特有の心理だと思うのでべつにここ界隈に限った話ではないのですが。
全然考えが纏まらなかった…。
某彼らについては、事務所に任せとこうぜ…って気持ちだな…メンバーに口出してほしくないし。絶対しないでしょうけど。だって自分たちのオマージュバンドに口出すアーティスト、めちゃめちゃカッコ悪い…(※個人の感想です)
あとこの件で公式が二次創作にまで言及してきたら死ぬって思ってるからあんまり騒ぎを大きくしないでほしい(※個人の感想です)
雑魚メンタル女ずっと戦々恐々してる…ヤメテー
・「面白おかしい」ものは「バカにしている」「愛じゃない」のか
さて。オマージュとして某バンドが某愚鈍の某を某したことが発端ですが。※そのバンドについては話しません(きょうみGAない)。
私がぐうう…となった点は、公式の名前・公演名・画像を面白おかしく表現したことについて「バカにしている、愚弄している」「どう見ても愛じゃない」というリプを見つけ、他人事でないものを感じてしまったことです。それは自分が普段やっていることと表面的には同じだからです。漫画を描いたり小説を書いたりしていて、見る人が見れば「絶対に馬鹿にしてる」と捉えられてもおかしくない、と普段から思っていたからです。三次元腐が徹底的に隠れるのって本人が見られないようにという理由と、腐でもなんでもないファンが見て不快にならないように、という理由もあるわけだし、三次元腐で活動をしている人(していた人)は同じような考えに至るのでないかなと思います。
勿論、それを売りにして金銭を得る「商い」に使用しているとか、「警告されたのに懲りずにやった」点はここではカットです。見た限り、「バカにしてる!」「これは愛じゃない!」と衝動的にコメントしたであろうファンのその初期衝動はそれらじゃないと思うので。じゃあその初期衝動ってなに?というと、「自分の好きなもの・愛しているものを面白おかしく表現されて馬鹿にされた気がした、腹が立った」だと思います。
「面白おかしく表現している」側の自分だから思うのですが、第三者がそこに愛を感じることは無理だと思うのです。私が何しても、フォロワーの皆さんは優しいから、私がファンであることを知っているから、あとそこそこ付き合いが長い(新しいフォロワーさんは年単位でいないので…笑)から、やべえなこいつって笑って流せるだけで。私をフォローしていない、知らない、腐女子でもなんでもない人が例えば「壊れかけのORERA」などと題して制作期間中の彼らを面白おかしく描いた漫画を読んだのなら、「本人たちは真剣に制作に取り組んでるのに、バカにしてる!」って思う人は絶対少なくないです。そりゃ、私が「彼らがこんなバカなことしてたら可愛いな、面白いな」って思って描いてるんだから当然ですよね。
バカにしているとは思わないまでも不快感を得てしまったなら、私が愛を持って描いているなんて、誰がそこまで考えるでしょうか。きっとこれは愛ゆえなんだ!とか、誰がそこまで考えてくれるでしょうか。よっぽど私のことを理解したいと思ってくれない限り、有り得ない思考回路です。愛があるからこれを描きました!って言って見せたところで、「これ、愛なの?」って思うほうが自然だと思います。初対面の印象が大事とよくいわれますがそれと同じで、「バカにしてんの?」って思った瞬間から「この人を理解したい」なんて真っ先に消える思考です。中には「いや待て一概にそう断ずるのは早計だ」って一呼吸置くプロセスを自然とできる人もいらっしゃるので絶対にそうとは言えませんが。
これは二次創作に限ったことでなく、たとえばメンバーの容姿や性格を貶す愛情表現もハタから見たら理解不能でしょうね。
「面白おかしく表現する」ことはバカにしているのか、愛じゃないのか。
これについてバカにしている、愛じゃない、と思ってしまうのは当然だと思いました。ですが「面白おかしく表現している」側の自分としては、バカにしているとは言えない、愛じゃないとは言えない。自分はバカにしていないし、愛しているからです。
・「愛じゃない」の根拠について
では、「こんなの愛じゃない」の根拠はなんなのでしょうか。
「私の思う愛し方」ではない愛し方をしている人の愛は愛ではない。というように、「自分が思う愛し方」と「他人の愛し方」を比較し、それが根拠の発言なのではないかと感じました。
何かを愛している誰かに他者が「それは愛じゃない」と断ずるのは非常に難しい問題だなと常々思っているのもあり。今回の件は「愛しているものが同じ」場合ということもあり。うだうだ考えるに至ったわけですが。
自分とは全く関係ないものを愛していると言われたら、大体の人はそうなんだ〜そういう愛もあるんだね〜みたいにちょっと特殊でもいちいち「それは愛じゃない」なんて言わないしその正否を考えないのに、こと自分も愛しているものだった場合そこに自分の思う愛との比較を意識的・無意識的にやってしまうという心理について、もう少し深く考えたいなと思った次第です。悪いとかヤバイとか言いたいのではないです
これはまた難しい問題なんですけど……。多様性多様性と昨今様々なことで声高に叫ばれていて、「こういう人もいるんだって受け入れて欲しい」みたいなの多くて、そのたびに考えてみます。考えてみますが、それが不快感を得てしまうようなものだったとき、私は非常に悩ましくなります。不快なことを不快と思わないようにすることは難しい。けっこう無理。だってそのたびに「この人はどうしてこうなんだろう?」って多角的に見ないといけない、どんだけ不快な相手でも理解する姿勢にならなきゃいけない。めっちゃ大事なことで、それができれば相手よりも何よりも自分にとっていいことだと思います。でもね釈迦でも菩薩でもないからそんなこと毎回毎回やってられないっていうのが本音だったりもします。
だから、思う事は自由、心の中は自由と割り切って、けれど相手に向けて発言するとなると、何故自分はそう思うのか、思い込みではないか等、心の中で一旦深く考えなければいけないなと思います。それをせず衝動的に口に出して相手の感情を否定することは個人的には見ててヤバイなと思ったし自分もそうしないように気を付けたい…。そんな人はごく一部だったんですけど!
今回の件には正義感というバイアスがあるのである程度仕方が無いよなと思いつつも、自分が愛しているものを脅かすかも知れない者は攻撃・弾圧・排除するという思考については見つめ直さなければならないよな〜と思います。周囲から攻撃されるというか弾圧されるというか、まああんまり受け入れられない趣味であるという背景から内向的で他者に対して攻撃的になりがちになってしまうのはよくない。これはマイノリティ特有の心理だと思うのでべつにここ界隈に限った話ではないのですが。
全然考えが纏まらなかった…。
某彼らについては、事務所に任せとこうぜ…って気持ちだな…メンバーに口出してほしくないし。絶対しないでしょうけど。だって自分たちのオマージュバンドに口出すアーティスト、めちゃめちゃカッコ悪い…(※個人の感想です)
あとこの件で公式が二次創作にまで言及してきたら死ぬって思ってるからあんまり騒ぎを大きくしないでほしい(※個人の感想です)
雑魚メンタル女ずっと戦々恐々してる…ヤメテー