お気持ちを書く

お気持ちを書く

この記事はただのお気持ちなので、読みたくない人は読まないで閉じてください。どうしても文字にしないと私の中でずっとぐちゃぐちゃのままなので、誰の為でもなくただ自分のために書きます。



会社で公式からの知らせを見て、動悸と震えが止まらないまま、家に帰っても本当に「永眠しました」という言葉の意味がずっと分からない状態で、泣くとかいう以前に理解ができませんでした。なんで?何があったの?どういうこと??そもそも死んだとか嘘じゃない???いろんな事情があってもう無理だってなってバンド続けていけなくて脱退だったら皆んながまた戻ってくる夢見ちゃうから死んだことにしたとか、なんかそんな裏側であってほしい、大ウソつきでもいいから生きててほしいって思っていました。
自分が受け入れられていないから、ここぞとばかりに上がりまくる著作権侵害動画も無理だし、ご冥福を祈るツイートもこの人たちは何言ってるのかなという感じだし、知らない人のポエムも好きだったって過去形で語られてることも、いっぱい出てくる昔聞いてた異端時代は好きだった系の人たちも、名前も知らないバンドマンの憧れでしたこれからは俺たちが後を継いでいきますとかの言葉も、全部無理でした。心が狭いです。悼み方は人それぞれなのに。でも、ガゼットの歌詞に準えているつぶやきだけはどうしても見たくなくて、なんでるきちゃんの歌詞を今の状況に当てはめて浸れるのだろう、こんな状況になることを想像もしていなかったであろうるきちゃんの歌詞を使ってれいちゃんの死を演出し、ドラマティックに消費しないでほしいと思いました。混乱して心が狭く攻撃的になってしまいました。寝ようと思っても一時間おきに目が覚めるから、ひたすら著作権侵害動画ツイートだけ、運営に報告する作業で夜が明けました(こわ)。

MASS日武の初回盤を受け取って見るために前々から休みにしていた翌日は、今見ないと一生見れない気がしたので、しばらく遠くから眺めたり撫でたりしてから、やっと開封してフォトブックを開いて、いよいよ今自分に巻き起こっていることの意味が分からなくなりました。こんなにも、咀嚼できない出来事は初めてで、それもまたどうしてなのか分からない。一人ずつの写真だけじゃなくて5人の写真も何枚も載っていて、ライブ前の円陣も、5人揃って立っているステージも、もう見れないという意味がわからなくてきつい。そんな感想しか出てこなくて、本当だったらもっとテンション上がってわあわあ騒いでいたはずなのに、待ちに待った日武の円盤なのに、なんでこんなに気持ちが静かなのかが一番不思議でした。え、ほんとうにいなくなってしまったの?このまま人生の半分以上、20年もそばにあった存在が、私の心の支えで唯一無二でたった一つの愛するバンドが、いなくなるのかもしれない?それがとてつもなくきつくて、本当に意味がわからない、なんでこんな世界線にいるのかよくわからない、全く理解できない、昨日からずっと意味わからない、わからない、分からない分からないず〜〜〜〜っと分からないわからないうるさく言っていました。こんなことがどうして起こっているのだろう、どうにかして何もかも元に戻せないだろうか、何かそんな方法がないだろうか、特別な何かが起こって、とかいう不可能なことばかり考えました。
そしてなんにも分かってない今なら見れる気がして、Blu-rayを流しました。5人がステージにいるのを見て安心して、れいちゃんのベース、ステージングの映像が、なおさら昨日のことなんか夢だったに違いない、睡眠も足りてないからきっと脳がフワついてて、見ている映像でさえ現実味がなくて、でもちょっとずつ「もしかしてこの時からどこか体調がよくなかったのでは?」と思い始めてしまって、そこからもうそうにしか見えなくなりました。動きも表情も絶好調には見えない、けど、れいた厨じゃないから普段から気を付けて見ていないし、わからない、緊張していたらこれくらいなのかもしれないし気のせいと言われればそうなんだなと思います。でも、ドキュメンタリーはれいちゃんの誕生日だけが収録されていて、それも変に勘繰ってしまって。もしかして何か、そうで、メンバーはどこかのタイミングで知った?それともたまたま編集の都合でこうなっているだけ?考え始めたらるきちゃんのツイートも、「必ずまた生きて会いましょう」という言葉も、結びついてしまって。日武の最後、一人ずつ喋るターンでれいちゃんが「疲れた!」みたいなことだけ言ったのがそのときちょっとだけ引っかかっていたから、だからこんな思考になってるだけかもと否定しながらも、でもクリスマスのあと告知がなくるきちゃんが待っててくださいってしつこく言っていたのも暫く治療する予定があったから先の見通しが立たなかったのかなとか考えてしまいました。
正直、私の中で、れいちゃんは繊細だしナイーブだし病みやすいほうではあると思っていたけど、そんな手段を選ぶ人にはどうしても思えなかったのです。表面的なことしか見えていない、いちファンの勝手な印象ですが、自分が大切なものをたくさん持っていることをきちんと分かっている・そして大切なものをしっかりと大切にできる、一時の感情で動いたりせず熟考してから動ける人だというイメージがありました。何よりあんなにやさしい人が、最期の瞬間ツイッターを開いて、ファンを不安にするようなことを言って去るだろうかということがまず疑問でした。あれは希望で、自分の最期がわかってしまってどうしてもこれ以上進めなくて、だけどそれでもガゼットには止まることなく続いていってほしいという前向きな願いだったのではないか。でも、そんなことは、れいたさんという人間の一面しか見ていないわたしの憶測でしかないし、単なる私の希望であると自分でわかっています。ぜんぶ想像で、そうであってほしいところだけを見ているに過ぎません。実際のところどんな経験をしてどんな悩みを抱えてどんな気持ちで毎夜眠っていたのか、私には知ることができないからです。
夜7時、メンバーのコメントが発表され、泣きすぎて字が読めなくて息もできなくて、本当に死んだということを認めている文章も四人分しかないメッセージも何もかもが嫌で目を開けることができませんでした。そして、そばにいて何十年も一緒に過ごしてきたメンバーが一番困惑や悲しみ、色んな感情の渦中にいることは想像に難くないのに、亡くなった日から二日という早さでコメントを出し、ファンを安心させようとしてくれているのが全員の文章からこんなにも伝わってくるのも、余計に泣けて仕方なかったです。いっぱい泣いたら、少しゆっくり寝れました。多分、本当にいなくなってしまったことを認めざるを得なかったのと、ガゼットはずっとこの5人で、これからも5人で在り続けると言ってくれたので、少しだけ安心できたんだと思います。でも「ガゼットがいなくならなくてよかった」と口にすることはできないです。れいちゃんがいなくなったことを責めているように、自分が感じてしまうので。メンバーが誰もれいちゃんを責めていない、優しさと愛情のこもったメッセージをくれたのに、私がれいちゃんを責めるようなことは絶対言ってはいけない。

木曜日になって、普通に朝起きて、腫れた瞼はアイラインが引きやすいなとか考えながら身支度をして家を出て、会社について仕事をして。その合間あいまに、何度も何度もメンバーのコメントを読み返しました。読めば読むほど、れいちゃんがその手段を選んだとは思えなくて。るきちゃんの言葉にあるれいちゃんの願った永遠が「これまで見てきたすべての景色」ではなく「2023年の景色」なのは、2023年が何より特別だった、そう思うほどの何かがあったからなのかな、とか。「れいたが嫌がるガゼットにはこれからもならない」「悲しい思いはさせたくない」「安心して毎回ライブに来いよ」「お前の席はいつでもあるまま」全部が、どうしても仕方のない避けられないことでこの世からいなくなってしまったれいちゃんに向けている言葉に見えたので。それがなんのことかは分からないけど、どうしても仕方のないことだったんだと思います。
葵さんのコメントも、いなくなったことを責めているんじゃなくて、さいごのさいご、遺した言葉が「願う側」だったことについてそうじゃないでしょ、もっとさいごまで「自分が永遠にするんだ」という気持ちを持って、抗ってほしかったと言っているように私には感じられました。単なる私の主観なんですけど。そして「急に俺らが居なくなっちゃって寂しいだろうけど」この言葉から、きっとれいちゃんにも予期せぬことだったのではと思えてならないのです。そんなつもりではなかったのに、予期せぬことで、仕方なく一人になってしまったのかな。

全部が全部、私の勝手な憶測で、「ただそう感じる」「そんな風に思える」レベルのもので、だから絶対にこうなんだよと誰に押し付ける気もありません。ただ私が納得するためだけにこんな物語を作り上げて、それでやっといなくなった事実を受け入れていく、そのための準備です。実感も何もないので、うるはさんのいうようにこれから何度も何度も少しずつ時間をかけていないことを思い知らされて、素直に悲しんで、れいちゃんの笑顔や言葉や気持ちを思い出して、そういう時間を経てやっと受け入れていくんだと思います。

5人仲が良くて、全員でのラジオは本当に面白くて大好きで、誰が欠けても駄目な関係性で、たくさんの苦楽を共にしながらずっと一緒に音楽を続けて、いっぱい楽しいことを考えファンを喜ばせてくれて、大事なことを言葉にして一生そばにいて安心させてくれる、そんな5人のガゼットが本当に本当に大好きで、ずっと一緒にいてね、と願っていました。自分とではなく、5人が、この先何十年もずーーーーっとずっと一緒にいてくれることが、私の願いであり幸せでした。
ずっと一緒にいてほしかった。
4人になってしまったこと、知らない誰かがくるかもしれないこと、そもそも立ち止まってしまうかもしれないこと、散り散りになってしまうかも知れないこと、多分どうなっても受け入れられないと思いました。
でも、4人にはならないよ、これからもずっと一緒にいるんだよ、だからこれからもそばにいてねと言ってくれたので、また私は「ずっと一緒にいてね」と願うことができそうです。
ずっと一緒にいてね。
多分この先もまた、色んな仕方のないことで、予期せぬことで、かなしい別れがあるかもしれなくて、それがずーーーーーーっと先のことなのか、明日の出来事なのかわからないから、不安になったり怖くなったりかなしい気持ちになりたくなくて好きでいることがしんどくなることも、もしかしたらあるかもしれないんだけど。でもどれだけしんどくてもつらくても好きでいることをやめることはなくて、そうしてやめないでいたら、私がずっと好きでいる限り、何があっても5人はずっと一緒にいてくれるんだなと思えます。5人はぜったいファンを裏切ったりしないから。一生一緒に生きるための言葉や、音楽を、これからも形にしていってくれるんだと信じることが、5人に私ができる唯一のことだと思うので。これまでの道程で、信じるに足るだけの、それだけたくさんもらったものがあります。
望む望まぬに関わらず続いていく人生のなかで、私が初めて自ら望み、私が生きていくために自ら手に入れた、最初の自我なのです。
ずっと一緒にいてね。

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